鍛冶の町 三条とタダフサ
“鍛冶の町三条”と知られ、国内外で評価の高い歴史のある金物産業の町、三条。
その中心部を流れる五十嵐川は昔から暴れ川と呼ばれ、幾度となく氾濫を繰り返してきました。
寛永2(1625)年から3年間、代官所奉公として三条に在城した大谷清兵衛は五十嵐川の氾濫に苦しむ農民を救済するため、江戸から釘鍛冶職人を招き、農家の副業として和釘の製造方法を指導しました。
寛永元(1661)年に会津地方から新しい鍛冶技術が伝わると、製品も釘から鎌、鋸、庖丁へと広がり、専業の鍛冶職人が育ちました。鍛冶専業者の増加に伴い、自然と金物を取り扱う専門の商人が出てくるようになり、五十嵐川や信濃川などの河川を利用し商圏を広げ、”鍛冶の町三条”が全国へ知れ渡ることとなりました。
このような三条の鍛冶の歴史の中、昭和23年に初代曽根寅三郎が裸一貫で庖丁工房タダフサを創業しました。当初は曲尺で修業した鍛造技術を生かし、鎌・小刀・庖丁などあらゆる刃物を手がけていましたが、しだいに、漁業用刃物を作るようになり、その後、家庭用刃物・本職用刃物・蕎麦切り庖丁などにも取り組み、現在に至っております。
創業以来64年、一貫してお客様に「本当に良いもの」を提供すべく、全ての工程を職人の手作業で行い、その一丁一丁に心を込めております。
また、時代のニーズに合わせ、お客様の望むものを作り続けてきたおかげでグッドデザイン賞・中小企業長官賞など数々の賞も受賞しています。
- 三条の鍛冶の技を後世に伝承し、存続させ続ける事
- 三条が庖丁の産地として存続し、規模を維持し続けることにより地元地域の雇用を生み出す事
- 温故知新の心。変化を恐れずに変えていくべき所は変え、残すべき所は残す事
- 誇りを持って物づくりに取り組む事
- 三条の子供たちの憧れとなるべき仕事にする事